3福井城城郭取り壊し(1883年/明治16年)飛嶋文次郎が飛島組を創設。福井城城郭取り壊し工事を初めて請け負いました。1905年(明治38年)水力発電工事の第1号として京都電燈の中尾発電所工事(福井県)を請け負う。越前電鉄(1915年/大正4年)中尾水力発電所が竣工し、電気の供給が始まると越前電気鉄道敷設工事の計画が具体化。福井市―大野町間敷設工事を請け負いました。1916年(大正5年)資本金10万円で株式会社飛島組(代表取締役・飛嶋文吉)を設立、本社を福井市豊島中町に置く。1940年(昭和15年)本社を福井市より東京市麹町区九段へ移転。1946年(昭和21年)飛島組は、企業再建整備法の適用を受け解散。創業者 飛嶋文吉 「飛島組」の隆盛を導いた創業者…飛嶋文吉は1876年、文次郎の長男として生まれ、13歳から石工として父の片腕となり、実力を発揮していきました。1901年の造成工事では、土砂運搬に牛車を使用していた時代に、当時としては最新の「トロッコ」を採用し、コストダウンを実現。工期を半分に短縮させたことで高い評価を得ました。 その後、水力発電所で信頼を獲得し、明治末から大正にかけて水力発電が盛んに建設された時流に乗り、「水力の飛島」「土木の雄」として全国に飛躍していきました。 「己の利を計らんと欲せば己の利を後とし、これを犠牲としてまず相手の利を計れ。相手に提供した自分の犠牲は己の努力と創意工夫をもって補え。」という飛嶋文吉の創業精神は、現代の「顧客ニーズの最優先」に通じ、工事に対する誠実さ、責任感の強さは人一倍で発注者の信頼も厚く、次々と全国の発電所工事などを受注しました。 こうした文吉の人間性に引かれ、熊谷三太郎(後の熊谷組)、前田又兵衛(後の前田建設)など優れた協力者が参集し、飛島組の原動力となりました。 こうした先人たちの真摯な対応と誠実さを受け継いで、飛島の礎を築きました。羽田飛行場(1931年/昭和6年)面積53ha、延長300m幅15m滑走路1本を設けて開港したわが国初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」の埋立工事を請け負いました。1947年(昭和22年)資本金300万円で飛島土木株式会社(代表取締役・飛島…齊)を設立。1960年(昭和35年)東京証券取引所に株式を店頭公開。1965年(昭和40年)土木偏重のイメージから脱皮するため、社名を飛島建設株式会社と改称。1983年(昭和58年)創業100周年。新本社ビル(三番町)へ移転。青函トンネル(1982年/昭和57年)津軽海峡を横断し本州と北海道を結ぶ延長53.8kmの長大海底鉄道トンネル(当社は、本州側の算用師工区約5.5kmを掘削)。常に水没の危機と隣り合わせの難事業でした。日本の国土を一体化させた意義は大きく、日本の20世紀遺産20選にも選ばれています。かながわサイエンスパーク(KSP)(1989年/平成元年)研究開発企業が生まれ、育ち、集まり、交流することによって、創造的な研究開発の流れを作る国際センターとなることを目指し、神奈川県・川崎市・当社により開発された集合施設です。BCS賞特別賞及び空調部門で空調衛生工学会賞等を受賞しました。1993年(平成5年)創業110周年。1994年(平成6年)南極地域観測隊への技術者派遣開始。東京湾アクアライン(1997年/平成9年)当時の最先端技術とノウハウを集結し、多くの新技術・新工法が開発・実用化され、「土木のアポロ計画」とも呼ばれ、海底の軟弱地盤、風や潮、地震等の自然条件、東京湾内の船舶の航行、環境保全など多くの困難を乗り越えて完成しました。(1883〜1919)(1883〜1919)トビシマグループの歴史は、1883年(明治16年)に福井城城郭取り壊し工事を請け負ったのがはじまりです。これ以降、トビシマグループは明治~令和の各時代における社会のニーズに応え、成長してきました。「トビシマ」は、これら139年の経験と技術の蓄積を背景に更に進化し、新たな価値創造に取組んでまいります。イントロダクション黎明期黎明期成長期(1920〜59)成長期(1920〜59)飛島建設139年の歩み
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